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コラム
COLUMN

92歳 三石巌のどうぞお先に 第2回(全10回)

三石巌が1994年に産経新聞に連載していた「92歳 三石巌のどうぞお先に」の記事です。

第1回はこちら

 

2-1. ビタミンC療法

必要量に個体差の問題を発見

 文献によれば白内障の原因はビタミンCのふそくだとある。ボクの同級生にビタミンCの製剤などとっているにんげんはいなかった。それなのにボクだけがふそくとはなにごとだ。

 ボクはむずかしい問題にぶつかった。ボクはじぶんなりにこれを解いた。  そして、そこからボクの栄養学がうまれ、ボクの健康管理学がうまれた。これが親ゆずりの目のおかげだとすると、親の恩は山よりも高く海よりも深いってことになってくるんだな。

 そのころボクの家には少年雑誌の編集者がさかんに出入りしていた。こどものぎもんにこたえる記事をあちこちに書いていたからだ。

 そのなかに中年の女性がいた。かの女はビタミンCの眼球注射で白内障をなおしたっていうんだ。ボクがからだをのりだしたら、その医者はもうビタミンC療法をやめたという。天然品が手にはいらなくなったからだそうだ。ボクはガクンときた。

 ビタミンCはアスコルビン酸ともいう。酸だから目玉に入れたらいたくてとびあがるだろう。合成品のビタミンCはふつうはこのアスコルビン酸だ。天然品はちがう。インドールと結合してアスコルビゲンっていう中性のものになっている。だからしげきがないから注射ができる。これはボクの見解だがね。

 ボクのそのころの考えはこうだ。白内障っていう眼病は水晶体がすきとおらなくなっておこる病気だ。ビタミンCはからだじゅうにゆきわたっているが、水晶体や副腎皮質や卵巣などにとくにたくさんたまっているものなんだ。本で読んだんだがね。

 というわけで、ビタミンCはひっぱりだこになっている。そうしてそれは、それぞれの持ち場ではたらいている。水晶体でどんな働きをしているかは知らないが、なにかのやくめをはたしているだろう。ボクの目の水晶体はビタミンCの働きがやりにくいんだろう。だからふつうの人よりビタミンCがたくさんいるんじゃないか。

 これがそのときボクの頭にあったことだ。水晶体のなかにはいろいろな化学反応がおこっているだろう。そこにビタミンCがかかわっているはずだ。

 それでなけりゃ、そこにビタミンCがあつまっている理由はないだろう。その化学反応はビタミンCをまきこんでいるが、ボクのばあいその量がおおくないと、反応がうまくすすまない。ここに、ビタミンC必要量の個体差の問題をみつけたわけだ。

1994年2月11日読売新聞に掲載

 

2-2. メガビタミン主義

スキー後の筋肉痛が消えた

 ボクはじぶんが白内障になったのは、目玉のあたりの血のめぐりがわるいんじゃなくて、レンズが人なみよりぜいたくにビタミンCを消費しているためだと考えた。

 これがあたっているかどうかは知ったことじゃないが、とにかく、ビタミンCの必要量が人によってちがうっていう個体差の問題をここでしっかりつかまえたと思った。

 だがしかし、どうして個体差ができるのか、その説明はできずにいたんだな。

その説明がつくまでに二十年ぐらいの時間がかかっているんだ。

 ボクがとりあえずやったことはビタミンCをたっぷりとることだ。そのときボクは、野菜や果実を食うことは考えなかった。ビタミンCの製剤を注射することにした。注射なら量も吸収もうけあいだ。

 ボクは考えた。どうせ注射するなら、ほかのビタミンもまぜて大きな注射器でやろうってことだ。痛いなんてことを問題にするようじゃ何もできはせん。

 大きな薬局へいってみると、ビタミンのアンプルがずらりとならんでいた。ビタミンCのほかに、無色のB1 、黄色のB2 、緑色の葉酸、紅色の B12 、褐色のK。

 ビタミンCのふそくがあったんだから、ほかのビタミンのふそくもないとはいえないと考え、結局、ボクはそのぜんぶをやることになったンだが、さいしょはCとB1とB2の三つにしぼった。

注射はむろん毎日やるかくごだ。そのころは、いまとちがって使いすての注射器なんてものはなかった。注射器は針のついたまま、なべにいれて熱湯で消毒しなければいかん。やっかいな話だ。

 ボクは注射のやりかたをいぜんから知っていた。医者におそわったことがあるんだな。
 母がボケぎみで寝たきりになっていたころ、心臓発作をおこした。そのときボクはすぐにカンフルをうった。するとたちまちおさまった。ボクはカンフルまで用意していたんだな。

 メガ(大量)ビタミン主義ってことばがある。ボクはこのときからメガビタミン主義者になったわけだ。ゆうめいなライナス・ポーリングより二年ほど早かった。

 じつは、ビタミンの大量注射をやっても、べつに何ということもなかった。ただ、スキーにいってみると、ごりやくはてきめんだった。いくらすべっても筋肉のつかれは感じられないんだな。

 戦後、スキーを再開したのは六十五の年だ。

1994年2月18日読売新聞に掲載

 

2-3. ビタミンB1の効果

術後ははれなかった妻の腕

  前回書いた米国の科学者、ライナス・ポーリングを知らない人のために一言しておく。かれは「さらば風邪薬」という本のなかで、ビタミンCがカゼにきくことを力説している。ビタミンCで地球上からカゼを追放したいって大きな夢をもつ巨人だ。

 メガ(大量)ビタミン主義の旗手でもある。

 ボクのつかったビタミンのアンプルは、Cが二百ミリグラム、B1が百ミリグラム、B2が二十ミリグラムだった。スキーでものをいったのは、たぶん百ミリグラムのビタミンB1だったろう。

 そのうちに家内が乳がんをやった。手術がすんでから、ボクはこれにB1とB2とを毎日注射することにきめた。手術後、八〇%の人に腕のはれがおこると聞いたからだ。はれの原因は乳酸だろうから、乳酸の発生をおさえるのにB1やB2がやくだつだろうっていうのが、ここでの理くつだ。

 ボクの勘はあたった。腕はぜんぜんはれないんだ。

 ところが、こまったことがおこきた。ビタミンB1の百ミリグラムアンプルの製造が中止になった。どうも東大の講師の本と関係があるらしいと思った。そこにはビタミンB1がよくないようなことが書いてあったからだ。アンプルは二十ミリグラムのものになっちゃたんだ。

 家内の腕はだんだんふとくなった。その後、どういう風のふきまわしか、ビタミンB1の五十ミリグラムのアンプルが売り出された。しかしこれはあとのまつりで、腕の症状はすすむばかりになっちゃった。

 だからといってボクは、その本を書いた講師をうらんじゃいない。かれに悪意があったわけじゃないからだ。完全な人間なんかどこにもいやしないじゃないか。

 ところで遺伝子DNAのながいひもは、いくつかの糸巻きにまきついている。染色体とはこのことだ。さいきんの新聞に、遺伝子地図がほぼしらべあげられたとあった。目のタチがわるいとすれば、それが地図のどこをみればいいかのけんとうがつくってことだ。

 その部分のDNAをきりとってタチのいいDNAととりかえっこができればいいが、そんなことはむりだ。目玉の細胞をひとつのこらず手術しなければならないわけだからな。

1994年2月25日読売新聞に掲載

 

2-4. 主役はビタミンC

進化の過程で生成やめる

 そろそろボクの話に飽きてきたかな。九十二歳でスキーに出かけたりしている暮らしぶりをの方を早く書いて、なんていう読者の声が、産経新聞のデスクに届いているそうだね。

 だがね、物には順序がある。長生きの秘けつを説明している最中なんだから、もう少し待ってほしいんだ。

 さて、ビタミンの話がだいぶでてきたが、ボクはメガ(大量)ビタミン主義者なんだから、これはあたりまえだ。ここまでのところビタミンの主役はCだった。ビタミンはいろいろだが主役はCだ。

 それには理由がある。ビタミンCは動物が生きていくうえでぜったいに必要な物質だ。だから、もともとはすべての動物がこれをじぶんでつくっているんだな。

 ヒトの祖先はサルだ。サルの祖先はネコみたいな動物だ。ネコが進化してサルになるとき大事件がおきた。ビタミンC をつくるのをやめちゃったんだ。これは脳を発達させるためじゃなかったかって説がある。

 脳の栄養はブドウ糖だけなんだし、ビタミンCの原料もブドウ糖なんだから、こんなことを考える人間がいたっておかしくないんだな。

 ところでキミは、「個体発生は系統発生をくりかえす」っていうことばをきいたことがあるだろう。これをいったのはヘッケルじゃなかったかな。十九世紀のドイツ人だ。

 胎盤は母親のおなかのなかのたった一個の受精卵からそだつもんだ。受精卵は水のなかで呼吸している。しっぽがはえている。まるでサカナだ。これがだんだん人間の形になって、とうとうオギャアとなる。個体発生ってことばは、このプロセスにつけられたものなんだ。ひとつの受精卵が一人前のからだのなるまでのプロセスを「発生」っていうんだ。

 それじゃ「系統発生」とはなんのことか。

 それは進化のプロセスのことなんだな。人間はセキツイ動物ってことになっている。セキツイ動物の祖先はサカナだ。それが陸にあがって四つ足であるいて空気を呼吸するようになった。それからたちあがって人間になった。このプロセスが系統発生ってことになるんだな。

 どうだ。ヘッケルのことばの意味がわかったんじゃないかな。かれはじぶんの頭からこのアイデアをひねりだしたんだよ。

 さて、ボクが個体発生は系統発生をくりかえすなんてカビのはえたことばをひきずりだしたのには、わけがあるんだ。

 オギャアとうまれでた赤ん坊は自分でビタミンCをつくっている。だからおっぱいにビタミンCがなくてもだいじょうぶ。それがいいたかったんだよ。うまれてから十ヵ月ぐらいはそうだってことだ。

1994年3月4日読売新聞に掲載

 

2-5. ビタミンCの必要量

状況、個体差に応じて不足補う

 キミは、イヌやウシにビタミンCをやることを知っているだろうか。かれらがビタミンCをじぶんでつくれるのに、だよ。これは、自前の生産力にリミットがあるってことだ。

 赤ちゃんだってカゼをひいたときなんかには、ビタミンCをほしがるかもしれないとおもうよ。

 われわれにんげんも、ビタミンと似たはたらきのものをいくつもつくっている。ニコチン酸・パントテン酸・ユビキノンなどなどだ。こういうものがふそくすることがあるんだ。

 ところで、病気や栄養の研究にはよくネズミがつかわれる。だが、人間とネズミとはおおちがいだ。ネズミはビタミンCをじぶんでつくれるんだから。

 われわれ人間にビタミンCがどれほどいるかはだいじな問題だ。これはネズミが一日にどれほどのビタミンCをつくっているかをしらべればいいわけだ。

 じっさいのデータをみると、ふつうの生活だと一日に二グラム、ストレスがあると十七グラムってことだ。これだけのものをネズミはつっくているわけだ。むろん人間の体重に換算してある。人間の必要量はここからだすのが合理的ってことになるが、二グラムのビタミンCはレモンでいえば四キログラムだ。がっくりくるね。

 この数字をきいてキミはどうするか。きょうからは毎日レモン四キログラムをたべようと思うか。とにかく野菜や果物をもりもり食おうとするか。サルは森をはなれずに手あたりしだいにビタミンCをふくむえさにありついているんだが。

 ここまで読んできたら、この連載のタイトル「どうぞ、お先に」の意味がわかったんじゃないかな。必要な栄養素をいるだけとりもしないでおいて栄養に気をつけています、なんていう人がいるけれど、そういう人にむかって、どうぞお先に、とボクはいいたいんだな。まさかそれを口にだすほどの無神経じゃないがね。

 ここで心にとめてもらいたいことがふたつある。ひとつはビタミンCの必要量が状況によってちがうってことだ。ネズミのストレスのことがあったじゃないか。

 もうひとつは必要量に個体差があるってことだ。それは一対百といわれている。キミは一日四十ミリグラムで、ボクは一日四グラムっていうようなぐあいだ。

1994年3月4日読売新聞に掲載

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