92歳 三石巌のどうぞお先に 第3回(全10回)
三石巌が1994年に産経新聞に連載していた「92歳 三石巌のどうぞお先に」の記事です。
目次 第3回
3-1. ビタミンCの働き
個々によって異なる役割を優先
ここまでくるあいだにビタミンCの働きがいくつもでてきた。意外じゃなかったかな。
じつは、どのビタミンにも複数のやくめがある。ボクがメガ(大量)ビタミン主義をまもっているのは、そのことをよく知っているからなんだ。
ビタミンは微量栄養素だから、ちょっぴりあればじゅうぶんだ、と思っている人はざらにいる。いまはちがうけれど、わかいころのボクは野菜や果物をたっぷりくっていた。むかしの食事のスタイルはそれがふつうだったんだ。それなのにビタミンCのけつぼうにやられた。それで白内障はおきたが、壊血病はおきなかった。そのことをキミはどう思う?
これは大きな問題じゃないか。ボクはこの問題にチャレンジしたんだ。
そのころ家内はやたらにカゼをひいた。なおってもすぐにまたクシャンクシャンだ。そのことをキミはどう思う。ライナス・ポーリングの考えをわすれたわけじゃあるまいな。これもビタミンCのふそくってことになるだろう。ただし、そのころボクはまだビタミンCとの関係などおもってもみなかったがね。
おなじビタミンCぶそくでも、ボクはそれほどひんぱんにカゼをひきはしない。家内の目はいたってよくみえる。ふたりとも壊血病のケはぜんぜんない。
これはどういうことなんだろう?
ふたりともビタミンCの摂取量はゼロであるはずがない。とすると、ボクのばあいビタミンCは、白内障をふせぐのをあとまわしにしてカゼをふせぐほうを優先したってことになるだろう。家内のばあいはその逆になる。
ボクのアイディアはこうだ。
頭のなかにカスケードを考える。カスケードとは段々になっている滝のことだ。滝といえばながれおちるのは水だが、空想となれば何だってながせる。それが空想のいいところだ。ボクはビタミンの流れを考えた。
ながれおちる段には穴があいているとするんだ。ビタミンCはその穴にながれこむ。そこで仕事をする。仕事はなんだっていい。水だったら水車をまわすところだが、ビタミンCで水車をまわすって話は通りがわるい。ただ、水車をまわしてなにかの仕事をするっていうのなら、はなしはとおる。
そうなればビタミンCの仕事のレパートリーを思いうかべたらいいわけだ。白内障の予防、カゼの予防、いろいろあったろう。
1994年3月18日読売新聞に掲載
3-2. ビタミンのカスケード
それぞれの段に吸収のための穴先
このごろはカタカナ言葉がおおくなった、なんて腹をたてるひとがいる。ボクはそんなことにはおかまいなしに先週、『カスケード』なんてやった。『段々滝』のほうがよかったらそれでもかまうことはない。ちゃんぽんでいくか。
ま、とにかく頭のなかにビタミンCがながれている。空想の世界のはなしだよ。
そのビタミンCは、水のように上から下へとながれている。それが階段のようなところをながれおちている。この段々滝は英語でいえばカスケードだ。カスケードって看板をかけたビアホールをみたことがあるけれど、これは階段というよりハシゴのいみだろう。
これは余談だ。
ビタミンのカスケードでは、ひとつひとつの段々に穴があいている。上からなだれてきたビタミンはその穴にすいこまれる。よぶんがあればつぎの段までながれおちて、そこでまた穴にすいこまれる。そこでまだよぶんがあればつぎの段までながれていってすいこまれる。そしてきまった仕事をするんだな。
わかりきったことをいうなって。ごもっとも、ごもっとも。ボクは、ビタミンCがたっぷりあれば、段々に穴があっても、大雨のときのように、滝はいちばん下の段までながれおちるってことをいいたいだけなんだ。
そんなことはわかっているっていうならボクは安心だ。いわんとするところが理解されたとおもうからだ。
キミも知ってのとおり、この穴はビタミンをすてるためじゃない。仕事をさせるためだった。
ボクのばあい第一段はカゼをふせぐ仕事、第二段は白内障をふせぐ仕事だ。ビタミンCのとりかたがたりないとしても、いちばん上の段にはいくらかながれてくる。それが穴におちてカゼをふせぐ仕事をするだろう。それなら、ボクはやたらにカゼをひかないですむわけだろう。まがりなりにでも、だよ。
ボクが家内ほどカゼにやられなかったわけが説明できるんじゃないかな。
ぼくのばあい、ビタミンCの滝は第二段までおちてくるだけのよゆうがなかった。それで白内障にやられたってわけさ。家内のばあいがこの逆だった。
ビタミンCの仕事はこのふたつだけじゃない。だから、ここで第一段といったのは上のほうの段のいみ、第二段といったのは下のほうの段のいみにすぎない。
1994年3月25日読売新聞に掲載
3-3. ビタミンCの仕事
足りないストレスに負ける
ころんでもタダおきないって言葉がある。ボクの白内障はボクの頭からこんなアイデアをひきずりだした。ボクはなまいきにこのビタミンCの滝にカスケードモデルなんて名前をつけちゃたんだ。
よくよく考えてみると、このモデルにはスキがいくつもある。だが、ビタミンがふそくだとどうなるか、ビタミンをたっぷりとるとどうなるか、がわかるっていうんで、ボクの知らない人がこれをかつぎまわっているようだ。
このカスケードモデルに興味をもつ人には「分子栄養学序説」(現代書林)「健康自主管理のための栄養学」(太平出版)「ニセ医者養生訓」(長崎出版)などの本がある。
ここにちらつくボクのDNAレベルの栄養学は一九八〇年ごろできあがった。それのまえは分子栄養学だ。これと、ライナス・ポーリング(ノーベル物理学賞、平和賞を受賞したアメリカの物理学者。メガビタミン主義者)の分子矯正栄養学とはべつものだ。かれの考え方は経験的、ボクのは理論的なんだから。
分子栄養学は三本の柱にわかれている。カスケードモデルはその二本目だ。一本目をだすかどうかについては迷っている。ややこしいからきらわれやしないかって心配なんだ。
おさらいをしておこう。カスケードの第一段と第二段とが、ボクと家内とは逆になっていた。健康について、病気について考えるとき、見のがすことのできないものは体質だ。ボクたち夫婦の体質のちがいが、ビタミンのカスケードモデルに表現されている、とボクは思うんだが。
ビタミンCの仕事に、ステロイドホルモンの合成があることはまえにでている。ネズミはストレスがかかると大量のビタミンCをつくるって話があったろう。ストレスがあるとビタミンCの必要量がふえる。これは消費量がふえるってことだ。
ストレスがあると、からだはそれにまけてはならじと抗ストレスのステロイドホルモンをつくる。その名はコルチゾン、コルチゾールなどだ。これをつくる化学反応にビタミンCがいるってことだ。だから、ビタミンCがたりないとストレスにまけることになるんだな。
さてこうなると、カスケードの段がふえるから、めっぽうややこしくなる。
1994年4月1日読売新聞に掲載
3-4. 段々畑モデルの利点
順序の違いが体質の相違に
カスケード(段々畑)モデルなんてことばをここで初めてみた人もいるだろう。まさか前の週を読んでほしいともいえないから、そのメリットだけをここに書く。
カスケードモデルはビタミンの量がたりないとまずいことがおこることをおしえてくれる。ビタミンCの持ち場は約五十といわれるんだが、もっとおおいだろう。もしそれが百あるとしたらカスケードの段の数も百だ。ビタミンCがじゅうぶんないと、いちばん下の段までながれていかないことになるだろう。そうなれば、百段目の仕事はできっこない。いや、五十段より下はパスだ、なんてことになるかもしれない。
カスケードモデルが頭にあると、こんなことまでわかってくるんだな。
カスケードの段の順序がひとによってちがうことはもうわかったはずだ。では、その順序をきめるのはなんだ。ボクの栄養学には三本の柱があるといった。順序をきめるのは、その一本目の柱なんだ。でもその説明はしんどいからここではやめにする。もったいつけているわけじゃないがね。
カスケードモデルのメリットの第二は体質といわれるものの正体の一面があかるみにでたことだろう。カスケードの段の順序のちがいが体質のちがいとしてあらわれるってことだ。ビタミンCをたっぷりとっていたら、ボクは白内障にならずにすみ、家内はやたらにカゼをひかずにすんだんじゃないかってことだ。
そんなふうに考えてくると、ビタミンCの役割がしりたくなるのが人情だろう。まとめってやつは役にたつもんだ。
抗ストレスホルモンをつくる。カゼをふせぐ。白内障をふせぐ。がんをふせぐ。壊血症をふせぐ。頭脳をよくする。農薬や添加物などの毒をけす。妊娠をうながす。細胞に脂肪をとりこませる。血中コレステロール値をさげる。アレルギー反応をおさえる。身長をのばす(こどもの)などなど。
びっくりするほどいいことずくめだろう。とりわけ気をひくのは「がんをふせぐ」じゃないかな。ところがどっこい、ビタミンCのはたらきには「がんをつくる」もあるんだ。例のポーリング(ノーベル化学賞、平和賞受賞者=先週は編集部のミスで物理学賞となっちゃた)のおくさんは、カゼをひくと一日に四〇グラムのビタミンCをとっていた。かの女が全身のがんでなくなったのはビタミンCの発がん性による、とボクはおもっている。
ビタミンCに発がん性があるわけは?
1994年4月14日読売新聞に掲載
3-5. 電子ドロボー
DNAの“クギ”を抜く発がん物質
ビタミンCのはたらきが縦横むじんだとおもったら発がん性があるとは。がんを防ぐいっぽう、がんのもとになるとはどういうことか。
この問題をとくには、発がんのメカニズムがわかっていなくちゃだめだが、これが難物だ。
だからこっちもオタオタしてくるんだなあ。ボクもがんばるからキミも元気をだしてくれなけりゃこまるよ。
発がんには電子がかかわっているんだ。だから、これは医者の土俵をはみだしている。物理学のあつかうしろものなんだ。
前に、DNA(遺伝子)がからだの設計図だっていったことがあるだろう。設計図どおりにいってりゃ何もがんとの縁などはないはずだろう。がんは設計図の狂いからくるっていったら、キミはがっちり受けとめられるかな。逃げ腰になるんじゃないぞよ。
DNAと電子と、なんか関係があるかって。そうこなくちゃいけない。
DNAは設計図だが、こいつは分子のかたちになっている。なにぶんミクロの世界のことなんだから、目先をかえてかからんといかん。
分子ってやつは原子の集まりだ。その原子ってやつは原子核と、それをとりまく電子とからできている。中学生でもそれくらいは知ってるはずだ。
がんはその電子に関係があるんだ。DNA分子をくみたてている原子のもっている電子に関係があるってことだな。
DNAは二重ラセンなんていわれる。ながいラセンが二本からみあっったかたちのものだ。それが炭素や水素や酸素や、いろんな原子でできているわけだ。そこに電子がたくさんいるが、こいつのやくめはクギみたいなもんだ。ラセンが木片でできているとすれば、電子は木片をつなぐクギってところだな。
電子が手ごわくてもクギなら何てことはないだろう。
そのクギが一本ぬけたらどうか。設計図はくずれるだろう。狂った設計図でつっくたものはどうか。やくにたたないものもあり、悪さをやらかすものもある。悪さをやらかすのが、がんだな。
DNAのクギが抜けるとがんだ。電子が抜けるとがんだ。電子を抜きとるやつがいるわけだ。それが発がん物質ってことだ。
電子ドロボーはどこにいるんだ?
1994年4月15日読売新聞に掲載