92歳 三石巌のどうぞお先に 第4回(全10回)
三石巌が1994年に産経新聞に連載していた「92歳 三石巌のどうぞお先に」の記事です。
4-1. 突然変異
3度目には修復不可能でがんに
DNA(遺伝子)分子から電子をぬすみだすやつがいたら、それが設計図をくるわせる犯人だから、発がん物質ってことになる。それを知っているからこそ、ボクはがんの予防に成功しているわけさ。これから、それを一席やろうっていうんだ。
ミクロの世界にスリ団がいる。かれらは原子のもっている電子をねらう。カネとまちがえるはずもないんだが。カネドロボーじゃなくて電子ドロボーだ。
細胞の中心には核がある。核のなかにはDNAがある。DNA分子をつくる原子のどれかが電子ドロボーにやられると、その細胞はまともじゃなくなる。死ぬのがおおいが、死なないやつはタチがわるい。がん細胞になるやつがいるんだな。
DNAがくるえば設計図がくるったわけだ。こういう現象を突然変異っていう。どこかで聞いたことがあるんじゃないか。
がん細胞がひとつやふたつやふたつできたからといって、がんになったとはいわない。そんな小さなものはみつかりっこないんだな。
がんの増殖ってこともきいたことがあるだろう。がん細胞はふたつに分裂し、それぞれがまたふたつに分裂する。それをとめどなくやらかすんだ。それが増殖ってことだな。
がんの早期発見っていうことばを見たか聞いたかしたことがあるだろう。このとき、がん細胞の数は十億をこしているのがふつうだ。そこまでこないとみつけるのがむずかしいってことなんだ。そこまでくるにはさいしょのがん細胞ができてから二十年ほどかかるって話だよ。
いまがんの告知をうけた人がいるとしよう。その人は二十年まえからがんにかかっていたわけだ。知らないでいたってことさ。
がんが一人前になるまでの二十年のあいだに、おなじDNAが三度ほどドロボーにやられているという話になっている。一度やられたDNAも、二度やられたDNAもなおしがきく。いたんだところの修復がきく。
修復してしまえばがん細胞はふつうの細胞にもどる。がん細胞ができてはなおり、できてはなおりってことが、キミのからだにおきていないとはいえない。
三度目の正直ってことばがあるけれど、修理のきいていない二度の突然変異に三度目がおいうちをかけると、もうもとにはもどらないって話ができあがったようだ。
1994年4月22日読売新聞に掲載
4-2. 活性酸素
体内にわく電子ドロボーの正体
ドロボーにねらわれるってことはうす気味わるいことだろう。ボクにそんな経験はないがね。
電子ドロボーはどうだ。こいつはミクロの世界だから当人にも見えない。医者にも見えない。気味がわるいはずなんだが何も感じない。がん細胞は当人の知らないうちにできる。そして、知らないうちに消えるものがいくらもあるってことだ。
そろそろ電子ドロボーの正体をお目にかけなけりゃひっこみがつかなくなったようだ。
電子ドロボーは、なんでもかんでも電子がほしい。よくばりはしない。たったの一個ふんだくれば、それで満足するドロボーなんだ。ミクロの世界の仁義ってとこだろう。
電子ドロボーはどこにいるのか?どこからでてくるのか?これは大問題だ。
電子ドロボーが外からはいってくるのは、酸素ボンベかたばこの煙ぐらいのもんだ。こいつらには気をつけるほうがいい。
それじゃあからだのなかにかくれているのか?
いや、かくれていることもないではないが、からだのなかにわくことがおおいんだな。
手足をうごかすのにも、ものを考えるのにも、おしっこをつくるのにも、エネルギーがいる。ねむっているときだって心臓は動いている。われわれは死んでしまうまでエネルギーをつくって、それを消費しなけりゃならないさだめなんだ。
そのエネルギーをつくる工場をミトコンドリアという。このくらいはおぼえておいてくれなきゃこまる。ミトコンドリアはソーセージのかたちの小さなもので、ひとつの細胞に平均一千個あるんだ。ボクがかぞえたわけじゃないがね。
からだではサトウやアブラをもやしているような話をきいたことがあるんじゃないかな。あれはミトコンドリアでもやしているんだ。これもおぼえておいたほうがよさそうだ。
ミトコンドリアには肺から酸素がおくられてくるが、これの二%が電子ドロボーになる。酸素がドロボーに変身するんだ。この電子ドロボーのなまえを活性酸素っていう。これは何かで見たか聞いたかしているんじゃないかな。現代のキーワードのひとつだよ。
ここに書いたことを応用して、スポーツがからだにわるいっていわれるのがどういうわけか考えてみたらどうだろう。
1994年4月29日読売新聞に掲載
4-3. 続・活性酸素
普通より強い力で相手を酸化
われわれの味方とばかりおもっている酸素が活性酸素となまえを変えてドロボーをはたらくとは、いったいどういうことなんだ。
しばらく、しんぼうして読んでもらいたい。
すべてのものは分子のあつまりなんだが、ひとつひとつの分子をみると、いくつかの原子核のまわりをかこんで電子がうごめいている。その電子の数は偶数でないとおちつかないってことがあるんだ。これはミクロの世界のおきてだから文句はつけられないさ。
ところでおなじみの酸素分子をみると、電子の数は十六だ。偶数だ。それでおちついていればなにごともないんだが、酸素分子には電子を一個とりこむ悪いくせがあるんだな。そうすれば十七個になる。
十七個は奇数だ。これはおきて破りだ。そこでもう一個の電子をあわててとりこまなきゃならなくなる。そばにぼんやりものの分子がいれば、そこから電子をもぎとってしまう。これがつまり電子ドロボーってことだな。これが活性酸素だってことは、察しがつくだろう。
活性酸素っていうことばを聞くと、なにかありがたいものって感じがするんじゃないかな。でも、これがこまるんだ。
キミは鉄がさびることを知っているだろう。ステンレスのことじゃないよ。ステンレスはさびないって意味なんだから。鉄はさびるとき酸素と化合している。酸化ってことだ。酸素には酸化力があるんだな。これがつまり酸素の活性ってものだ。酸素の活性は酸化力としてあらわれるってことだ。
活性酸素っていえば、わざわざ活性をくっつけたんだから、活性がつよいことを意味している。ふつうの酸素より酸化力がつよいってことなんだ。
ミクロの世界のことがわかってくると、酸化の意味がひろくなっちゃった。酸化とは電子をぬきとられることを意味する。だから、おなじみの電子ドロボーってやつは、相手を酸化することになる。学校でならったくせにわすれているんじゃないかな。
ここまで話がわかると電子ドロボーは酸化剤ってことになる。
電子ドロボーがDNA分子から電子をひっこぬくって話がまえにあった。DNA分子は酸化されるとまずいって話から、いよいよ電子ドロボーよけの話がはじまる。
1994年5月13日読売新聞に掲載
4-4. ドロボーよけ
ひとつ手に入れば悪さはしない
活性酸素なんて新しがり屋のことばじゃないか。藪(やぶ)のなかにひきずりこまれちゃかなわん、と思うか、思わないか。この違いで、キミが前向きの人間か後ろ向きの人間かがわかるってもんだ。九十二歳のジジイにおくれをとっていいのかね。
この活性酸素ってやつが万病のもとだってやかましくいわれだしたのは、一九八〇年代になってのことだ。がんとか心不全とか脳卒中とかのいわゆる成人病のすべてに活性酸素がかかわっていることがみつかったんだな。医者はそんこといわないって。そりゃそうだろう。医者でこれを知っているのは十人にひとりだって聞いたことがある。この数字がほんとかどうか知らんがね。
活性酸素が電子ドロボーだってこと、まだおぼえているかな。
一万円札が手にはいったらあっさり足を洗うドロボーなんていないだろう。電子ドロボーってやつは、電子がひとつ手にはいれば、かたぎになる。もう悪さはしない。本物のドロボーが恥ずかしくなるくらい感心なやつだ。自然のやることはいつだって律義なんだな。律義者ならドロボーにも使い道がある。ややこしいからくりは知っちゃいないが、からだはうまいことやっている。ボクは見なかったんだが、活性酸素、つまり電子ドロボーを手先につかって白血球が細菌をやっつけるところがテレビにでたっていう話だ。そういう番組はタメになるんだから見ておくことだな。
細菌でもウイルスでも、電子をドロボーされると死んじゃうってことだ。DNAだっておかしくなることはもうわかっているはずじゃなかったかな。
じつは電子をドロボーしてもらわないと困ることもある。排卵とか受精とかがどういうことか、キミは知っているだろう。びっくりしないでもらいたいが、これも電子を抜きとってもらわないとうまくいかないっていうんだ。おもしろいことがあるもんだな。ドロボーも使いようで役にたつってことかな。
電子ドロボーがやたらにからだに手をだすと、がんだ、老化だってさわぎになる。ドロボーよけの工夫がいるだろう。それには盗まれ役をおくことだ。これはサクラのたぐいかな。
ボクなんか全身にサクラを配置している。サクラはドロボーがくればさっさと電子をわたす。だから、からだはぶじだ。電子ドロボーは足を洗う。おめでとうっていいたいね。
サクラの正体は何だ?ドロボーの正体は?
1994年5月20日読売新聞に掲載
4-5. 掃除屋
活性酸素始末する体の“サクラ”
電子ドロボーがきたら、からだは盗まれ役のサクラをつかうっていう話はおもしろいだろう。サクラってどんなものかってこと知りたいじゃないかな。それを秘密にしておくほどボクはずるい男じゃない。
からだのサクラだっていってもピンとこないからニックネームの変更だ。スカベンジャーとしておこう。この英語の意味は掃除屋だ。電子ドロボーつまり活性酸素をしまつしてくれるから、掃除屋がぴったりじゃないか。
このごろベータカロチンってことばがちらほらでてきたろう。あれはスカベンジャーのひとつなんだ。よくしらべてみたらスカベンジャーの種類は一万ぐらいあるだろう。そのひとつがベータカロチンだ。さわぐことはないさ。
ベータカロチンはニンジン、カボチャに色をつけている色素なんだ。東北大医学部のチームがあちこちの長寿村の人たちが何をくっているかをしらべたことがあるんだ。その答えはカボチャだった。年じゅうカボチャをくっていたってことさ。
おまえもカボチャをくってるだろうって、ボクにききたいんじゃないかな。ところがどっこい、ボクはそんなものたまにしかくっちゃいないよ。
カボチャがなぜベータカロチンをもっているか。問題はそこだな。
カボチャでもなんでも、植物ってやつはもろに日光をあびている。そこには紫外線があるってことを思いだしてくれないか。紫外線には波長の長いのも短いのもある。植物はそれをまともにあびているだろう。それはきびしいことなんだ。
キミはフロンガス問題を知っているんじゃないかな。オゾン層にあなをあけて紫外線をとおしちゃうってことを。
これがつまり波長の短い紫外線なんだ。それがヒフにあたると、そこにある水分子をわって活性酸素をつくっちゃうんだ。それでヒフがんができるってことをおぼえておくほうがいいだろう。
カボチャにがんができるかもしれんが、とにかく活性酸素はまずい。そこでベータカロチンをつくる。植物はカボチャだけじゃない。みんなそれぞれに何百種類ものスカベンジャーをつくっている。ビタミンCもビタミンEもそうだし、カロチン、フラボノイド、ポリフェノールとわんさかある。こんどはその話だな。
1994年5月27日読売新聞に掲載