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コラム
COLUMN

92歳 三石巌のどうぞお先に 第8回(全10回)

三石巌が1994年に産経新聞に連載していた「92歳 三石巌のどうぞお先に」の記事です。

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8-1. がん細胞

大量の活性酸素で“一人前”に

 ボクが保証人になっていた人がとうとう破産しちゃった。ボクはあたまをかかえての金策だ。ねむれない夜がつづく。心身ともにくたくただ・・・。

 このストレスで、ボクの体内では活性酸素がひっきりなしに発生いしている。だが、ボクはこれがもとでいくらがん細胞の卵ができたって、心配はしない。それが一人前のがんになるまえに、ボクはお墓ににげこむ予定なんだ。これはジジババの特権なのさ。ワイロも何ももらえない特権だ。ひとにゆずることのできない特権だ。

 若いもんじゃそうはいかん。自前のスカベンジャー(老化などの元凶とされる活性酸素をしまつする物質の総称)があるにはあるんだが、活性酸素の大量にやられたらあぶないもんだ。

 植物にはいろんなスカベンジャーがあって、それを人間さまがよこどりしているってことは、まえに書いた。そういうわけで、植物はいくら紫外線がきても大丈夫なんだが、農薬パラコートをかけられたら、おしまいだ。活性酸素の洪水がおきるからだ。スカベンジャーの分子数が活性酸素の分子数におよばなかったとすれば、これはあとりまえの話さ。

 若者よ、おごるなかれってことさ。

 ここでちょっと、前のことのおさらいがいる。鼻からはいった酸素はミトコンドリアへゆく。ここで燃料を燃やすわけだ。このとき酸素の二%が活性酸素になるっていったはずだが、おぼえているかな。

 パラコートは、このパーセンテージをあげる農薬なんだ。これをかけられると植物はたちまち命をとられる。パラコートは自殺につかわれているが、これは活性酸素のはたらきだ。中性洗剤も、パラコート同様に活性酸素の増産剤だ。だからこんなものを飲んじゃいかん。

 ここいらで金策、いやストレスの話にもどるとしよう。

 活性酸素がじゃんじゃんできるから、あちこちにがん細胞の卵がうみつけられる。きずのついたDNAをもつ細胞ができるってことだ。

 まえに書いたことだが、ある細胞のDNAの一ヵ所が電子ドロボーにやられただけだと、それはがん細胞の卵だ。おなじDNAが、二カ所も三カ所も四カ所もドロボーにやられなければ、一人前のがん細胞にはなれないんだ。

 これはなかなかやっかいな仕事だ。よっぽどたくさんの活性酸素がなけりゃならん。一人前のがんができるのに、十九年も二十年も二十五年もかかるってのもむりはないさ。

1994年9月23日読売新聞に掲載

 

8-2. 薬物代謝

活性酸素をだすのが発がん物質

 活性酸素、活性酸素って目にウロコができるほどやかましくいって、発がん物質の話はどこかへいったんじゃないか、それでいいのかなんて、キミはじりじりしてるんじゃなにのかね。

 ボクだってそう思っているんだが、常識の壁をやぶりたいところがあるんだ。それがだいじだから、もう少しがまんしてほしい。

 なるほど、発がん物質っていわれているものはヤマほどある。AF2、おこげ、トリハロメタン、農薬、食品添加物、アフラトキシン、キク科植物の花のハチミツ・・・。このほかにもキミの知っているやつがあるだろう。

 AF2はトウフの防腐剤で、だいぶまえに市民運動に騒がれて禁止になったシロモノだ。おこげの発がん物質はトリプルP、グルPのふたつで、国立がんセンターが十六億円の税金をつぎこんでみつけたシロモノだ。トリハロメタンは水道水にふくまれているといって問題になるシロモノだ。

 AF2の発がん性はとても弱く、口にはいったところで何ということもないシロモノだときいている。“理科離れ”の市民運動のからさわぎだと思うんだが・・・。

 トリプルPもグルPも含有量が少なすぎて、毎日一〇〇トンのおこげを食わなければ、がんができないっていう研究結果がでている。

 含有量が不足のため問題にならないものはわんさとある。トリハロメタンもその例なんだ。何もビクビクして水道の水をのむことはない。水道水をいじくる装置がいろいろあるようだが、理科離れ好みのへりくつが多いようだ。マユにツバをつけての思案どころだな。

 活性酸素はどこへいったかってキミはきたいしたんじゃないかな。これはかんたんな関係だ。発がん物質とは活性酸素をだすもののことなんだ。

 医者のくすりでも、AF2でも、トリプルPでも排ガスのベンツピレンでも、からだにはいればゲドク(解毒)される。ゲドクのプロセスで活性酸素がでてくる。ゲドクといったって、毒をけすんじゃなくて、なかに毒をつくるやつがあるんだな。これが発がん物質ってことさ。

 そういうわけだから、学術用語じゃ解毒なんていわずに「薬物代謝」っていうことになっている。薬物代謝のプロセスのなかで、活性酸素をつくるものが発がん物質ってことになる。きちんとした話は、井戸端会議用語じゃむりだってことが、そろそろわかってもらえるんじゃなかろうか。

1994年9月30日読売新聞に掲載

 

8-3. 薬の副作用

活性酸素より“恐ろしい”抗がん剤

 よその国ではどうか知らんが、日本人ならだれだって薬の副作用を気にしている。それについての一面のヒントが前回にあったはずだ。それは、がんをはじめとする成人病のもとになる活性酸素だった。電子ドロボーのニックネームのつく凶悪犯だ。

 医者先生だって、副作用を承知のうえで薬をだす。友人が、ある離島の診療所をうけもたされた。カレが栄養療法をとりいれたせいで、薬の売り上げが前任者の十分の一におちこんだ。すると、県からおしかりをうけちゃった。これは、医療費の膨張に頭をなやましている国の話だよ。

 こんな話をいやがる手合いがいるらしいから、ほこ先をかえるとしよう。

 血圧がたかいといえば、ハンコでおしたように降圧剤がだされる。そして、つづけなけりゃだめだとくる。何十年も血圧の薬をのんでいる人はめずらしくないようだ。六十歳をこしたら、降圧剤のおかげでたすかる人はないっていう統計的事実があるんだがね。さっきとべつの友人の医者先生は、絶対に薬をのまん、といっている。

 薬の副作用は、ゲドクからくる活性酸素だけじゃすまないってことがのみこめたかな。活性酸素のほうは打つ手があるから簡単だが、もうひとつのやつがいやだよ。

 じつは、副作用のいちばんすごいのは抗がん剤だ。それと免疫抑制剤だ。このふたつは、抜群の発がん物質として有名なシロモンなんだ。

 ここまでのお勉強で、DNAが電子をぬすまれるのが、がんの始まりだってことを知ったはずだが、ぬすまれてこまる場所はきまっているんだな。きまったところをいくつかやられなけりゃ、がん細胞はできあがらん。

 こりゃ、やっかいな仕事だ。よっぽどながい時間をかけなかったら、こんな難事業はできっこないさ。電子ドロボーがねらう場所はでたらめなんだから、こりゃ大変なこった。

 DNAの電子をぬすまれてこまる場所を急所といっておく。それは、DNA上の遺伝子の意味だ。

 その細胞がホルモンを作るのが役目だとすれば、その設計図をもつ遺伝子があるはずだ。この遺伝子がやられたらこまるじゃないか。急所とはそういうものだ。

 急所はまだある。その細胞が、がん化したらこまるだろう。そのがん化をおさえる遺伝子がある。その遺伝子がやられたら、がん化にはつごうがいいわけだ。それも急所なんだな。

1994年10月7日読売新聞に掲載

 

8-4. がん細胞はエリート?

急所のクリアは極めて難関

 遺伝子ってことばが、ひょいと出てきた。まえにDNAは設計図だといったが、設計図になっているのは遺伝子なんだ。DNAの一部が設計図になっている。これが遺伝子ってものだ。DNAのながい分子の上に遺伝子がならんでいるってことさ。

 DNAには設計図になっていない部分もある。設計図になっている部分は五%ぐらいしかない。DNAの設計図になっていない部分は、電子を盗まれて狂ってしまった設計図の修復に使われるのだろう。

 むろん、修復作業を受けもつ遺伝子ってのもDNAのうえにあるはずだ。これも、前からいっている急所の一つってことになっているんだな。

 がん細胞をつくる急所の数は、がんの種類でちがうんじゃないかな。そこで急所が四つあったとしよう。大腸がんの場合はそうなっているようだ。その四つの急所だけが電子を盗まれるのでなければ、がん化は成功しないってことだ。

 四つの急所がやられなければだめってことなら、急所をはずれたら、どんなことになるんだろうか。

 急所をはずれてほかの遺伝子がやられたとしよう。その遺伝子が役目をもっていれば、それができなくなっている。だから、その細胞ははたらけなくなる。その細胞は死んでしまうだろう。がん細胞にならずにだ。

 こんなことはしょっちゅうおこっているはずだ。活性酸素はべつに急所をねらっているわけじゃない。ブラウン運動っていう、でたらめな運動をしているうちにDNAにぶつかるわけなんだからな。

 DNAの九五%は遺伝子じゃない。そこにぶつかったら、これはムダ玉になっちゃう。

 大腸がんの場合だと、急所は四つあったな。これに一、二、三、四と番号をつけてみよう。この番号はだいじなものだ。この順序にアタックを受けないと、がんは出来上がらないんだな。第一のアタックが、急所をはずれてほかの急所だったら、その細胞はもうがんになれないんだ。

 がん細胞ができあがるプロセスは、学校制度に似ている。子供は、幼稚園、小学校、中学校、高校の順に進学しなけりゃ一人前になれないだろう。がん細胞もそれとおんなじだ。

 それをブラウン運動っていう気まぐれにまかせてやろうっていうんだから、がん細胞は、皮肉にも狭き門を突破したエリートというわけなんだ。

1994年10月14日読売新聞に掲載

 

8-5. 大腸がん進行の段階

患者側の急所は『修復遺伝子』

 前回、大腸がんを例にだしたから、それについてもうすこし書くことにする。大腸がんがふえているって話もあるからな。

 大腸がんに急所が四つあることをいぼえているだろう。こういうのを発がん四段階説っていうことになっている。

 ボクは一九七二年に『ガンは予防できる』って本を書いた。考えがたりなかったもんで、そこには発がん二段階説をだした。ボクはしろうとで論文をみていなかったんだが、そのころすでに二段階説をとなえる学者がいたんだ。第一段階には、イニシエーションって名前がついていた。日本語だと『引き金段階』だ。第二段階には、プロモーションって名前がついていた。日本語だと『後押し段階』だ。

 その後、研究がすすむと二段解説はつぶれた。あとにでてきたのは、発がん多段階説だ。前回はそれを紹介したことになるんだな。

 この多段階説だと、第一段階はイニシエーション、第二段階はプロモーション、第三段階はプロパゲーション(増殖)ってことになる。プロモーションやプロパゲーションのなかに、いくつかの段階をつくることになるんだな。

 大腸ポリープってことばを聞いたことがあるだろう。大腸がんの場合、『急所1』は二つあるんじゃないのかな。『1』をやられればポリープができ、『1’』をやられれば、ポリープはできないって考えるわけだ。

 『急所2』はがん抑制遺伝子なんだな。だから、これがアタックされれば、がん化のスタートってことになる。これがプロモーションってことだ。

 つぎにプロパゲーションだが、ここまでくれば異常増殖がはじまって、悪性化ぶりがはっきりしてくることになる。アタックをうけるのは『急所3』と『急所4』だが、そのやられ方によって、がんの進行のスピードや増殖のようすが違ってくるのではないだろうか。

 ここまでのところの見方は、まったくがんの側からのものだった。患者の側からみると、急所をもう一つつけたしたくなる。

 それは修復遺伝子だ。DNAのどこかがアタックされて異常をおこしたとき、それをもとにもどす遺伝子だ。

 DNA修復遺伝子はがん化の妨げになるんだから、発がん段階の一つとする理由はないだろう。ただし、これがアタックされれば、がん細胞がもとの、まともな細胞にもどることはなくなるわけだ。

1994年10月21日読売新聞に掲載

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