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コラム
COLUMN

92歳 三石巌のどうぞお先に 第9回(全10回)

三石巌が1994年に産経新聞に連載していた「92歳 三石巌のどうぞお先に」の記事です。

第8回はこちら

 

9-1. 酵素の働き

DNAのきずものを修復

 前回までの話で、細胞のがん化の手続きがややこしいことはわかっただろう。そこに、イニシエーション(引き金)▽プロモーション(後押し)▽プロパゲーション(増殖)の三つの段階があることもおぼえたかな。

 このうちプロモーションは、二つとか三つとかの段階にわかれるらしいこともわかってきた。これも、がんの種類によって、いろいろになっているんじゃないかな。

 がんが、このプロモーションの段階にあるときなら、もとにもどることがある。治すことができるって話があるんだ。耳よりな話じゃないかな。

 これは、DNAの修復ができるってことになるが、そのとき、ビタミンAが役に立つといわれている。プロモーションの段階では、がん化のプロセスがもたついているはずだから、何年も時間があるだろう。そのスキに、ビタミンAをぶちかますことができれば、がん学校の小学生が退学ってことになるんだな。

 このメカニズムについて考えてみようじゃないか。

 DNAのきずものをまともにするのには、たとえば、きずものをえぐりとって、まともな部分ととりかえればいいわけだ。こういうような体内の作業をうけもつものを「酵素」という。

 このことばを、キミはどこかで見たか、聞いたかしているだろう。新聞でもテレビでも、おなじみのはずじゃなかったかな。

 酵素はどれもタンパク質だ。余談だが、あるとき、知らない男性から電話がきた。「お前さんは、タンパク質でない酵素があるのを知っているか」ときた。ナントカ酵素を売っている人物だった。ボクの本に「酵素食品をありがたがるのはおかしい」と書いてある。それを見たんだな。

 体の中では、四六時中いろいろな化学反応がおきている。「代謝」ってやつだ。すべての代謝をとりもつものは、酵素なんだ。

 酵素はタンパク質だから、その設計図はDNAにある。遺伝子にある。酵素は入用なとき、いるだけじぶんの体でつくるのがたてまえなんだな。

 遺伝子のどれかがやられてたら、修復遺伝子がはたらきだして、修復酵素をつくる。その酵素が、DNAのいたんだところを修復するわけだ。それが、プロモーションの遺伝子を修復すれば、がん化コースがバックする。

 そのとき、ビタミンAはなにをするのか、というと酵素の助手をつとめるんだ。酵素ってやつは助手がないと、そっぽをむくことがおおいんだ。

1994年10月28日読売新聞に掲載

 

9-2. NK細胞をつくる方法

合目的に『フィードバック』

 がんの問題にまでビタミンがからんでくると、メガビタミン主義者は、わが意をえたりと気をよくする。前回は、細胞の突然変異をビタミンAがもとにもどすって話がでた。

 いつか、インターフェロンやキトサンはNK(ナチュラルキラー)細胞を活性化するって話があったろう。ビタミンはNK細胞にもかかわっているんだ。

 このあたりのことはすこし、大ぶろしきをひろげざるをえなくなる。がまんがたいせつになったぞ。

 こんどはNK細胞をふやす方法じゃなくて、こしらえる方法だ。といっても人の手でできるものじゃない。骨髄につくらせるわけなんだがね。

 体ってものが、いつも合目的的に動くものだってことは、さんざん書いてきたつもりだ。NK細胞にしたって、用もないのに、やみくもにつくられるはずはないだろう。がん細胞やウイルス感染細胞があったら、それをやっつけるのが目的でつくられるにちがいあるまい。酸素のうすい高地にうつり住んだら、赤血球がふえるってことを考えたらわかるだろう。

 こんなふうに、必要に応じて事がおきるのを、『フィードバック』とよぶことになっている。冷蔵庫がいいサンプルだ。温度があがれば、スイッチがちゃんとはいる。フィードバックってことばは、もともと電気工学用語なんだよ。『冷蔵庫は、フィードバックシステムによって合目的になっている』っていわれたら、ピンとくるかな。

 われわれの体も、フィードバックシステムのおかげで、合目的なものになっているってことだよ。これには、ちょっと感心してみてもいいんじゃないかな。

 人体がどんなからくりでフィードバックができようになっているか。この問題をといたのは、モノーとジャコブのフランスの頭脳だった。一九六一年のことだから、ふるい話じゃないんだな。

 われわれの体の運営がDNAによって完全ににぎられているってことが、ふたりによって示された。

 生命のナゾだと昔はよくいったもんだ。生命は物理や化学の法則をこえた、べつの法則によってうごくと考える学者が、いないではなかった。二十世紀の科学者は、そのナゾをといて、これまでの科学の法則がぴったり、あてはまることを教えてくれたってことさ。

 これで、いままでの生物学はほうむられちゃった。分子生物学の誕生ってことだ。栄養学も分子生物学ぬきじゃ、学問にゃならんよ。

1994年11月4日読売新聞に掲載

 

9-3. DNAの指令

暗号で示される体の設計図

 ペンの勢いがあまって、NK(ナチュラルキラー)細胞を増やす話がどっかへけしとんじゃったな。でも、悪いことをしたわけではない。横道にいくのもなにも、ボクは『理科というレールを脱線した電車』をもとにもどす作業をうけもつ鉄道作業員の気持ちでいるんだから。

 さて、がん細胞の卵は毎日生まれている。とすれば、NK細胞の出番はなくなることはないはずだ。つまり、骨髄はひっきりなしに、それをつくっているってことだな。

 どうやってそれをつくるのか、それはDNAの指令による。DNAは体の設計図だといったことがあるだろう。それを忘れちゃいかん。話のすすめようがないじゃないか。

 NK細胞の設計図はちゃんとDNAにある。それがなかったら、NK細胞なんかつくれないにきまっているだろう。

 DNAは設計図だといっても、家の設計図みたいなものとは全くちがう。暗号なんだ。字をつかっているわけじゃないが、暗号文みたいなもんだ。

 字にあたるものをむりやり字にすれば、それは、『AUCG』の四つになる。暗号文は、たとえば『AAAAUGCCC』ってなもんだ。これを『AAA』『AUG』『CCC』と三つにくぎると、一つひとつに意味がつく。

 意味とはどういうことか。『AAA』はリジンの意味だ。『AUG』はメチニオン、『CCC』はプロリンの意味だ。どれもアミノ酸の名前さ。DNAの暗号文をといてみると、アミノ酸の名前がずらりとならんでいるだけだ。

 DNAっていうのは遺伝子のことだろう。子が親の体からうけついだ手紙だ。そこに書いてあるものはアミノ酸の名前だけだ。ゆかいになるのはボクだけかい?

 でも、アミノ酸ってものがわからなかったら、なにもびっくりすることはないかもしれん。アミノ酸はタンパク質の成分なんだ。タンパク質とは、アミノ酸のつながったくさりだ。だから、DNAの暗号はタンパク質のつくりを示したものってことになる。

 ボクはこのことを思うたびに感動するよ。なぜかといえば、親からゆずりうけたものはタンパク質のつくりであって、それ以外のなにものでもないという事実は、あまりにもあっさりしているからだ。

 このことからすぐにわかることがある。それはアミノ酸がたりなかったら、親の教えが守れないってことだ。

 タンパク質をつくるアミノ酸は二十種類あるが、どれひとつがなくても、設計図通りのものができんのだよ。

1994年11月11日読売新聞に掲載

 

9-4. 酵素

よく働く体内の“手品師”

 NK(ナチュラルキラー)細胞をつくる話にもどるとしよう。NK細胞の数がたりないことは、センサーがなくちゃわかるまい。それがどこにあるか知らんが、とにかくこれをつくらにゃあかん。そこでフィードバックシステムがはたらきだすんだ。

 NK細胞は、タンパク質だけでできているわけじゃない。細胞膜はリン脂質といって、リン酸・脂肪酸・グリセロールの三つからできているんだ。どれも食い物からとれるんで、わざわざつくることはない。だが、それをくっつけてリン脂質にしなけりゃならん。

 この仕事はだれがやると思うか。これは、酵素のやることだ。そして、酵素はタンパク質だった。これがキー物質ってことになる。

 酵素のタンパクは設計図によってつくられるが、それには、リン酸・脂肪酸・グリセロールをいっしょにのみこむ口があいている。三つのものはそれぞれブラウン運動しているが、そろってその口にのみこまれると、酵素はそれをまとめてくっつけちゃう。

むろん、それにはエネルギーがいるけれど、それはミトコンドリアから供給される。

 この酵素の働きぶりは、お見事っていうほかない。こいつがないと、どんな生物もありえないんだな。酵素は手品師だよ。手品だよ。手品のレパートリーは、五千もあるだろう。それを専門の手品師が、さっさとこなすわけさ。

 キミは卵にタンパクがあるのを知っているだろう。それはぜんぶ酵素だ。黄身は、手品の道具置き場で白身は、手品師のたまり場だ。

 これまでに、タンパク不足だの、高タンパク食だのってことばが出てきたのをキミは気にしているだろうか。ボクの栄養学だと、これは重大なポイントなんだよ。

 高タンパク食とは、タンパク不足のない食事の意味で、良質タンパクを毎日、体重の千分の一だけとることをさすことになっている。

 良質タンパクの代表は鶏卵だ。ボクはいま、菅平高原にいる。そこのペンションでは、三食に卵を二つずつつけてもらっている。良質タンパクの量は四十グラムほどだ。ボクは体重は六十三キロだから、あと二三グラムでいいわけだ。

 肉や魚なら二〇〇グラムぐらいでもまにあうが、不足はじぶんでつくった配合タンパクで、つじつまをあわせることにしている。鶏卵オンリーならば、九個でいいわけだが、これではカロリーがすごくオーバーになる。これは問題なんだな。

 この高タンパク食ならば、親の設計図どおりに生きられるはずだ。NK細胞の不足もない。

1994年11月18日読売新聞に掲載

 

9-5. タンパク理論

必要量は体重の1000分の1

 一日のタンパクの必要量は体重の千分の一。それがボクの栄養学のもとだ。体重五〇キロならタンパク五〇グラムってこと。ボクの仲間はこれをまもっているんだ。ことわっておくが、このタンパクは良質のものでなけりゃならん。

 このルールをはずれたら、どんなトラブルがおきても不思議はない、とボクは思っているんだ。『どんなトラブル』なんていわないで、万病といったほうがわかりやすいかな。

 バス放火事件ってのが十四年前の新宿であった。亡くなった人が五人いたが、あやうく助かった女性にボクは紹介されている。去年の秋のことだがね。そのときボクは、手をみせてもらった。

 顔はなんともないが、全身にケロイドがあるときいた。

 ことしの正月、彼女の夫の杉原荘六氏にあって、はじめて症状をあかされた。春がくるとあせがでる。それが、ケロイドのすきまのまともな皮膚からわきだすので、かゆくてたまらん。そこをかくと出血するから、夏になると全身が血だらけになるというすさまじい話。

 ボクはその場で、良質タンパクとそれにまぜるビタミンと、皮膚がとくに要求するビタミンAとの一ヶ月分をおくった。

 ボクは高タンパク食でケロイドをなおした経験をもっているわけじゃない。ここでの判断は、経験からきたもんじゃなくて理論からきたものなんだ。

 ボクが彼女にいったことは、『DNAがやられていなけりゃ、設計図がそのまま残っているはずだから、いずれはなおるだろう。だけど時間がどれほどかかるかわからない』だった。

 ボクの判断がただしいかただしくないか、キミはどう思う?

 彼女からグッドニュースが届いたのは三月だった。二ヶ月ほどしかたっていないのにだよ。

 その杉原三津子さんは、バス放火事件を小説に書き、ドキュメンタリー作家としてデビューした人だから、少女時代から指にペンだこができていた。これが気になっていたところ、ある朝、それがなくなっていた。かゆくてかいても血がでなくなった。

 彼女はこれを主治医に話すといっているが、医者先生はどういう顔をするか。『これは一生なおらない』といっていたそうだが・・・。 

1994年11月25日読売新聞に掲載

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