文字サイズ

インタビュー

INTERVIEW
Vol.6

三石理論との出合いは大きな財産
もっと社会に浸透することを期待している

中島 龍市 氏
(中島歯科 院長・歯学博士・歯原病研究会 会長・3Mix-MP法認定医・日本歯科東洋医学会 認定医・日本口腔インプラント学会・国際色彩診断治療研究会)

1984年、福岡県福岡市にて中島歯科を開業以来、約40年にわたって地域の歯科医療に従事。三石理論と出合ってからは、自ら三石理論のレジュメを「栄養学」と題した冊子にまとめ、それを患者に配布するなど、本人曰く啓蒙活動も行っている中島氏。三石理論との衝撃的な出合い、自身の体験を通じて実感した三石理論の素晴らしさを語っていただきました。

著書を読んだのをきっかけに三石巌の人間性と理論に魅了された

――中島先生の三石理論との出会いはいつ頃で、どのような印象を持たれましたか?

今から27年前の1996年に、歯科大学の先輩から「分子栄養学を提唱している三石巌という人がいる。読んでみたらどうだ」と著書を紹介いただいたのがきっかけでした。読み始めたところ、すっかり三石ワールドにハマりました。ポイントは2つあるのですが、1つは三石先生が本の中に書かれていた海軍の話。当時、日本の海軍は世界最高の魚雷を持っていたそうなのですが、東京大学の先輩教授からその開発に協力を求められたエピソードが書かれていたのです。しかし三石先生は「私は戦争に反対です。だから参加しません」と断ったところ、その教授から挨拶されなくなったと。それを読んで、「ああ、この先生は本物だな」と感銘を受けました。当時の日本で戦争に反対を唱えるなど、なかなかできることではありません。その状況下で自分の意見をしっかり述べられる人は本物だなと思いました。

もう1つのポイントは、統計的・経験則による栄養学ではなく、三石先生は物理学者なので非常に理路整然としていて科学的な内容に驚きました。炭素、酸素、水素、窒素のレベルから組み立てた科学的な新しい栄養学であると。非常に感動を覚えましたね。

――三石先生の著書と出合う以前から栄養学に興味をお持ちだったり、勉強をされていたからこそ三石理論にハマったということでしょうか?

いいえ、栄養学は全く勉強していませんでした。三石先生の著書を読んだことで眼を開かされましたね。栄養学はずっと勉強していかなければいけない分野だなと、その時に感じました。今もそうですが、歯学部でも医学部でも栄養学を教えていないんですよ。本当は大学でも教えるべきだと思います。

自ら三石理論のレジュメを作成し、患者さんに配布している

――中島先生が行われている歯科治療において、三石理論の考え方などが生かされている部分はございますか?

27年前から、歯のない箇所にチタンのネジを埋め込んで歯をつくるインプラントという治療を行っているのですけれど、骨がないとインプラントの治療はできないんです。抜歯した箇所に成熟した骨がつくられるまで普通は1年くらいかかるのですが、患者さんはそんなに待てない。なので私は、抜歯してインプラント治療をする場合は、必ずと言っていいほど三石理論に添った栄養素の摂取を紹介しています。当然、実践される方とそうではない方に分かれますが、ほとんどの方が実践されますね。私はインプラント治療まで6ヵ月ぐらい待つのですが、通常は柔らかい骨なんです。ところが実践された方は硬い成熟した骨に変わっているんですよ。もう全然違います。治療ではドリルで骨に穴を開けますから、手に伝わる感触で実感しています。

――患者さんに対して、三石理論をそのまま語ることはないと思うのですが、中島先生はどのような言葉、表現でお伝えしているのでしょうか?

治療中に長い説明はできませんから、患者さんに配布するために三石理論をまとめたレジュメを用意しているんですよ。それを渡しています。「栄養学」というタイトルの21ページの冊子なのですが、そこに活性酸素、タンパク質、ビタミン、ミネラルについて書いてあります。私がまとめたものなのですが、一度改訂しまして今は改訂2版です。

――先生ご自身も三石理論を実践されているそうですが、それ以前と比べて体調や健康状態の変化を感じる部分はございますか?

あります、あります。三石先生の理論にハマったのは1996年ですが、それ以前から2つの悩みがあったんですよ。1つは非常に皮膚が弱いこと。どうも蚊に好かれる体質のようで、同じ場所で他の人と作業していても私だけが蚊に刺される。しかも、刺された痕が半年とか1年治らないんです。これは非常に大きな悩みでした。ところが、三石理論を実践するようになり、2年ぐらい経つと蚊に刺されてもすぐに治るようになったんです。まあ、蚊が寄って来るのは変わりませんけれど(笑)。

それともう1つは、ケガをした時に血が止まりにくいんですよ。これは幼い頃から実感していましたけれど、それも2年ぐらいしてすぐに血が止まるようになりました。それと共に皮膚がきれいになりましたね。今、71歳なのですが、患者さんから「先生、若い」と言われるんですよ。シワやシミがないと。もう1つ、「先生、長生きしてくださいね」と毎日言われています。周りからエールをもらいながら頑張っていますよ(笑)。

最期の講演会を聴けたことが自身の誇りとなっている

――中島先生は三石先生とお会いしたことがあるのですか?

実は三石先生が亡くなる4ヵ月前に熊本県玉名市で行った講演会に行き、ステージの真ん前で三石先生の講演を聴いているんですよ。当時、先生は96歳でしたが、約1時間の講演中、何の淀みもなく、まさに立て板に水のごとく話されるんです。原稿が用意されているわけではないのに「えーと」とか「あの〜」とかが一切ないんです。ものすごく驚きましたね。もう頭脳明晰ってレベルじゃないんですよ。しかも、アスリートでもなんでもない学者が、その年齢になっても軽井沢へ行ってスキーを楽しんでいる。この人は、自分で三石理論の正しさを証明している、体現しているなと強く感じました。それだけに亡くなられた話をきいた時は、ものすごいショックでした。最期の講演を聴けて本当に良かった。三石巌先生の講演を聴いたことを私はとても誇りに思っているんですよ。

――お話を伺っていますと中島先生にとって三石先生は凄い人であるのと同時に憧れの存在なのだなと感じました。一方、三石理論を、どう捉えているのでしょうか?

素晴らしいものだと思っています。日本全体にしっかりと広めていっていただきたいですね。日本は世界の先陣を切って、未だかつて経験していない老人大国になっていきます。その中で認知症や介護の問題など、いろいろなことが起きるはず。そういった問題に対して、三石理論は非常に大きな貢献を果たすもの、支えになるものだと感じています。もっともっと社会に浸透させていただきたいですね。私も陰ながら応援していきます。