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インタビュー

INTERVIEW
Vol.8

いつものように変わらない体調、普通の毎日が送れることを陰で支えているのが三石理論のような気がします

5代目 野澤錦糸 氏
(文楽義太夫節三味線方)
人間国宝の義太夫節太夫・7代目竹本住太夫の相方を務め、1998年に国立劇場文楽研修生出身で初めて「錦糸」の大名跡を継ぐ。芸術選奨文部科学大臣賞や日本芸術院賞など数々の賞を受賞し、2013年には紫綬褒章を受章する。

江戸初期に始まり、ユネスコの無形文化遺産にもなっている人形浄瑠璃文楽。その三味線方を務め、竹本住太夫との名コンビで一世を風靡し、今や文楽界の重鎮として多忙な日々を送る5代目野澤錦糸氏は、三石理論の実践によりどのような体調の変化があったのかを伺ってみた。

体力、気力が必要な三味線方だが以前は健康には無頓着だった

――文楽は、「三業」と呼ばれる語りの太夫と三味線、人形遣いが一体となった古典芸能です。この三者の呼吸を合わせて舞台を進行していくわけですが、やはり公演を最後まで務めるには強靭な体力や精神力が必要とされるのでしょうか?

錦糸 公演では太夫と一緒に「床」と呼ばれる舞台に座ります。文楽は太夫と三味線の掛け合いで物語が展開されるので、常に太夫との兼ね合いには気を使いますね。

また、体力も必要です。演奏も稽古も正座が基本です。足がむくんだり膝にも負担がかかります。「太棹(ふとざお)」と呼ぶ義太夫節の三味線は最も大作りで重く、撥(ばち)も大きい。ですから、三味線を構えた時に体調がよくわかります。撥(ばち)が大きく重く感じる、握りにくいと感じる時は体調の良くない時です。それを力任せに弾くと、身体のあちこちを傷めてしまいます。

――「錦糸」の名跡を継がれて今年で25年になり、いろいろ周りを指導するお立場にもなっています。そういった面でストレスを感じられることも多いのではないでしょうか?

錦糸 文楽の興行は、本拠地大阪の国立文楽劇場と東京の国立劇場、この二か所での本公演が中心で、あとは年に二回の地方公演があります。配役によって生活の時間帯は変わるし、そこにカルチャーセンターでの指導もあり、古典伝承の為にやっておきたい課題もあって、自分自身の稽古の時間が切迫していくのが一番ストレスを感じる時です。

――――三石理論に出会う前は、何か健康法を実践されていましたか?

錦糸 いや、それが全然(笑)。以前はタバコも吸っていたし、お酒ももちろん飲んでいました。食事もあまり気を使わなかった。竹本住太夫師匠は肉好きだったので80歳過ぎても200グラムのロースのステーキをペロッと召し上がっておいででしたが、私はその半分も食べられない。運動はたまに自宅近くの六甲山に登るくらいでしょうか。とにかく不規則な毎日で、食事の時間も舞台のスケジュールによって時間が変わります。東京では外食か宿泊先での自炊。とはいえ簡単なものしかできないし、コロナ禍で非常事態宣言が出ていた時は、地方から戻ってきたらお店が全部閉まっていて食事ができず、コンビニで買ったサンドイッチを夕食に食べたりしましたが、冷たい食事って味気ないものですね。

夫人に勧められて始めた三石理論で安定したコンディションで暮らせるように

――三石理論は奥様に勧められて取り入れるようになったと伺いました。奥様はどうやって三石理論と出会われたのですか?

錦糸夫人(以降夫人) 10年ほど前、主人が多忙を極めていた時に、私が虚血性大腸炎になったことがありました。その予後の治療で整体院に行ったところで偶然隣で治療を受けていた方に声を掛けられた。この方ご自身は薬剤師でもあり三石先生の教えを受けた方でした。「低タンパク症ではないですか?」と仰って、まず実践してみてと導いてくださった。良質なタンパク質とメガビタミンの摂取、活性酸素の除去を基本とする「三石理論」との出会いはここからです。

――三石理論を取り入れることによって、何か身体に変化はありましたか?

夫人 冷えた身体が徐々に体温が上がっていると内側から感じられました。それまでずっと虚弱体質だったのが、三石理論を行ってから馬力が出るとうれしかったものです。東京や大阪の勉強会に出席したこともあります。いろいろな方の実体験や感想を聞けて面白かったですね。80歳を過ぎた出席者の方が「身体のスムーズな代謝のためには、タンパク質ばかりでなく、ビタミンやミネラルの摂取が必要」とおっしゃるのを聞いて、自分ももっと勉強しなければと思ったり……。また三石先生のご本は、健康に関して何か疑問に思ったときにその都度本棚から出して、読んで参考にしています。
困った症状に直面した時、そこに至る過程があって、個人の体質、特質(個体差)があると思えば対処の方法が見出せる。様々な健康情報に惑うことなく、自分で健康の管理ができることで、絶えず不安だった私に自信が生まれました。

――三石理論を実践することで、ご自身の身体の変化を感じられるようになり、ご主人にも勧められたわけですね?

夫人 次第に元気になっていく私を不思議そうにみている主人に「試してみる?」と勧めて今に至ります。実践してしばらくして主人が言ったことは「疲れ方が違うな。」
2014年に住太夫師匠は引退なさいましたが、あの前後の多忙も三石理論を実践していたから乗り越えられたと思います。

錦糸 家内から三石理論を勧められたときは、特に何かを期待したわけではなく、家内が良いというものはとりあえずやっておかないとな、という気持ちからでしたね。それが今では毎日、三石理論の実践です。

――それで錦糸さんは三石理論を実践することで何か変化があったのでしょうか?

錦糸 実は、特に体調や体質の変化といった目に見えるようなことはないんですよ。それよりも、不規則な日常であっても、とにかく普通の体調でいられるというか。風邪もひかないし、たいした病気にもならない。毎日がいつもの体調、いつもの気分で過ごせるようになったという感じでしょうか。でもそれが、自分にとっていちばんありがたいことです。

――コロナウィルスが蔓延した時期も、三石理論の実践は欠かさなかったのですね。

錦糸 非常事態宣言などで公演活動もままならず、ついつい酒量が上がったせいか、前立腺肥大が進行してMRIを撮ったら前立腺に黒い影が映っていました。がんの疑いもあるということで、さらに生検を行ったのですが、何も悪いところはなかったのです。これはちょっと不思議でしたね。毎日の三石理論の実践だけはしっかりと行っていたためか、コロナにも一度感染したのですが、別に苦しんだり辛かったりしたこともありませんでした。

伝統を守りながら新しいことにも挑戦その気力、体力を支える三石理論

――錦糸さんのご年齢では、一般のビジネスパーソンはリタイアの時期になっています。しかし錦糸さんは現役で伝統芸能を牽引しているだけでなく、いろんなことにもチャレンジされています。その元気の秘訣は何でしょうか?

錦糸 4代目の竹本越路太夫師匠は、「70歳くらいになって、ようやく義太夫節が分かってきたんだよ」と仰っていました。文楽の世界は、子供の頃から修行を始めて50歳くらいでようやく花開くかどうかです。私はといえば、年々忙しくなって今の仕事量がピークかなと思っています。あと10年くらいこの状況を続けなけれないけない。と言うのも、ただ決められた本公演の舞台をこなすだけの活動では面白くない。だから、頼まれもしない「復曲」の仕事をしたりしています。永くお蔵入りしてしまった作品の譜面を起こし舞台にかける作業です。ものすごい時間と労力を費やしますが、義太夫節をきちんとした形で後世に残していかなければならない、この思いが原動力になっています。

――伝統の世界を守りつつも、常にクリエイティブなことに取り組んでいこうという気持ちが、錦糸さんを突き動かしているんですね。そんな錦糸さんを三石理論はどのように支えているのでしょうか?

錦糸 「もう一生欲しい」これは晩年の越路太夫師匠の名言です。それほど、芸の道は果てしなく、飽かず求めゆくものです。
舞台に穴を開けられない。周囲に迷惑をかけられないから、これまでに1日も本舞台を休んだことがありません。
日々、自分自身に真剣に向き合っています。この体力と気力の維持を支えてくれているのが三石理論のような気がします。私は三石理論を理解できていませんが、実践していて体感的に良いとわかる。だから、今日も明日も実践する。これだけです。